2024.02.14

より自己紹介

このブログを始めるにあたって自己紹介をしたつもりではありましたが、今後のアトツギ仲間つくりの為に改めて、より自己紹介したいと思います。

1974年(昭和49年)7月30日火曜日生まれ

未熟児で生まれ、今や身長187cm体重90キロの大きな男に育ちました!

趣味は、釣り(タイラバ、エギング、ジギング、キャスティング等々)、ダイビング、エアーガン、天体写真撮影、ラジコン、鉄道模型、サーフィン、水上バイク、温泉旅行など

福岡県北九州市八幡西区生まれ

4歳で福岡県飯塚市に引っ越す

飯塚市立潤野小学校卒業(現飯塚市立鎮西小中一貫校)

飯塚市立鎮西中学校卒業

福岡県立嘉穂高等学校卒業

小学校時代は、泣き虫でボンボン扱いされカツアゲやゆすりなど社会の闇を経験しつつ(この時代の飯塚はとにかくヤンキーしかいないような街でした)、人見知りが激しく友達を作るのが大の苦手。だからなのか夏はカブトムシくわがた虫など採取することが大好きに。特に飯塚って田舎だから、ホントよくカブトムシくわがた虫が採れるんですよ!(笑)

また、父がこれからはコンピュータの時代だからとファミコンを買ってくれ、小学生の間はゲームにはまり込みました。これが今の私の会社のゲームビジネスにつながっていくわけですw

また、ここのブログでも書きましたが、カブトムシくわがた虫を売ってお小遣いかせぎを始めました。高校卒業する時には、普通車1台を買えるぐらいの貯金があったことは内緒(笑)

小学生時代は、TくんKくんという親友と呼べるかはわかりませんが、仲良くさせてもらってました。人見知りなので、いっぱい友達をつくるというよりは、仲良くしてくれ友達とより仲良くなる方向でした。公園で野球をよくやったり、うちでファミコンゲームをやったりして遊んでました。

そんな小学生時代を送ってました。

中学生になると、人見知りも少し改善され、目立ちたがり屋に育っていました。良くも悪くもクラスの中で目立つことばかりやってたように思います。

しかしながら、中学生になっても2代目のボンボンだろ!というレッテルは貼られたままでしたが、そんなこと気にせず遊んでくれる友達がいたことは救われました。

正直、ウチより大きな会社のアトツギもいた(例えば麻生グループとか)のに、なんで俺だけがボンボンレッテル貼られたんだろう?と今では不思議でしかたがありません。

私が自慢してたことはないのですが、大人になって当時の友達に聞くと、親の車が高級車乗ってて、私が持ってた持ち物がその辺の小学生中学生では持てないような物を持ってたかららしいのです。

まぁ、そりゃそうですよね、カブトムシくわがた虫売ってましたから、その辺の数百円とか数千円ぐらいしか貰ってないお小遣いで生活してる友達と比べたら、そりゃあお金もってますよね(笑)

そういうことでレッテル貼られてたのかぁと思ったことを思い出しました(笑)

それが原因なのか、他校のヤンチャな方々から目を付けられ、ヤンチャな方々が私を探しに我が中学校に2度もお越しになられたのです。

私はそんなこと知らずにノホホンとしてました(大人になってから友達からその話を聞きました)。しかしながら、私の友達が私を探しに来たヤンチャな方達と話を付けてくれ、大変なことにならずに済みました(もちろん、この時点では私はそんなことは知りません)。

しかし、今考えると、その友達には、ホント、感謝です!

中学生になると、自分が何でこの世に産まれてきたんだろう?私がこの世に存在する意味は何なんだろう?と思うようになってきました。

当時、MicrosoftとAppleの闘いが世界的にバチバチとやり合ってた時代でしたので、ビルゲイツやジョブスみたいに私は世界中を飛び回り、世界的な会社を作ってプライベートjetで飛び回る、そんなビジネスを展開させて人類を進化させる!と、夢を見ていました(笑)日本はバブル期だったので、世の中がイケイケドンドンでしたから、本気でやれると思っていたのです(笑)

高校生になると、当時はそこそこの進学校だったので、勉強勉強勉強勉強勉強でした。周りのみんなは(笑)

私は勉強したくなかったので、BASICというプログラミングにはまり、自作ゲームなどを作ったりして遊んでました。

高校1年生の夏まではモテました(笑)モテ期到来です(笑)しかしながら、とあるできごとがあり、秋にはモテない、女子からは嫌われる、そんな高校生活に大転落してしまいました。

また、だれがどう根回ししたのか分かりませんが、私が別のヤンチャな高校に通う中学校の同級生の悪口を言ってるとその本人とその同級生の先輩に噂が広がり、なぜか何の覚えも無いのにその先輩から脅迫をしばらく受け続けました。そうしてると本人から連絡があり、本人と話して私が無関係だと分かって貰い、半年ぐらい続いた脅迫は終焉を迎えました。よかった(笑)ホッ

今考えると、中学校、高校でのヤンチャな方々からの因縁は、あぁ、あいつとこいつが裏で動いてたんだろうなぁというのがある程度想像できました。そのうちの一人とは、私は分かってても黙ってて今も付き合ってます(笑)そう、お前だよ!!(笑)

さて、高校では勉強しなかったので、もちろん、落ちこぼれです。私の時代は教師の体罰なんか当たり前。同じ街の別の高校では体罰で生徒が亡くなってまうぐらいの時代でした。

しかもうちの高校は伝統を重んじる高校で、男子は登下校の時、帽子を被ってないだけで、生活指導の対象でした。

私は頭も大きかったので、私の頭に入る帽子が無かったんで、帽子を被りたくてもきちんと被ることが出来なかったんです。

身長も高校生になると185cmほどありましたので、制服も特注でした。しかし、帽子は特注ができず、既存のサイズしか無かったので、きちんとは被れなかったんです。

なのに、生活指導対象となり、また、たまたま生活指導の先生が私の体育の授業の先生でよりヒートアップ。しかも、成績が悪いと先生たちに嫌われ、生徒が先生から虐められる事が普通でした。

なので、ものすごい体罰を受けるんです。

竹刀を足に挟み正座をし、両手を上に上げ、先生が竹刀で私をぼっこぼに殴ります。殴られる度にありがとうございます!と言わないと更に鉄拳が飛んできます。もちろん、血だらけで至る所腫れ上がりで、ものすごい顔に全身あざだらけです。

家に帰ると、当然、親から「どうした?」と聞かれます。先生から怒られたと言うと、親は「ん、お前が悪い」で、終わりです(笑)

今の時代なら大問題でしょうね(笑)

教師として人間としてあり得ないだろう事をやってた先生すらいたのに納得できませんでした。

私は、この時から学校の教師が大嫌いとなりました。

そういう高校時代を過ごし、さあ、そろそろ卒業間近となるわけですが、学校の先生からは相変わらず虐められてました。

お前なんか大学に受かる訳がないと言われ、カチンと来たので、ダメ元でいくつかの大学を受けました。

Fラン大学はもちろん受かりました。また、偏差値で言うところの55〜58ぐらいのF大学の学部も受かりました。私立としては偏差値が九州でも1〜2位を争う大学は落ちました。当時のセンター試験を受けていなかったので、国公立大学は受けませんでした。

F大学に受かったことを報告に先生の所に行きました。先生からは、ふーんとだけ言われたことを覚えてます。

私は大学に行くつもりは全く無かったし、先生に反発して受験を受けただけだったので、大学には行きませんでした。今考えると、ちゃんと勉強して大学に行くか、アメリカに留学しておけば良かったと思います。

つづく…

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